24Nov
【私たちは足跡を残す】
俯瞰で地球を見ると人間が歩いた後にはエネルギーが残って光っている。
なぜなら私たちは、レイラインに沿ってエネルギーを、必要なエネルギーを運ぶ為に「移動して」いるから。
その移動が、徒歩の場合もあれば電車、車の場合もある。
いずれにしろ、エネルギーを運ぶためであることには変わりはない。
それを光で表せば、エネルギーの強いところには人が集まる。
でも、人が踏み込まないような場所でもたまに強く強く光るときがある。
それは運んだエネルギーがとても強い、ということで、それを運べるだけの人が存在している、ということ。
今、この瞬間。
日本は夜だから移動する人は日中に比べたら少ない。だから光も少なくなる。
地球の裏側では今はお昼くらい?
ランチタイムで移動する人たちも増えてくる時間のはず。
その国をエネルギーがわかる目で見ると、たくさんの移動が見え、それはその人たち本来のエネルギーだけではなく、重なり合うように運ばれるものが見えてくる…
一体私たちは何を、何の為に運んでいるのだろう。
会社に行く為に電車に乗っているとしても、本来の目的はその場所までエネルギーを運ぶ事。
その場所に必要なエネルギーを運ぶ乗り物として機能している。
先日、googleマップを使って初めての場所を訪れたとき、自分がいるところを空からの視点で把握できることに気がついた。
これってきっと、神の視点と同じなのかも…。
神の視点では私たちはチェスの駒のよう、あるいは地面を這い回る蟻のように見えるのかもしれない。
その神の視点を、googleマップは提供してくれている。
普段、歩いているときに自分が今、どこを歩いているのかを空から見下ろして知る、という意識はない。
でもgoogleマップによってその視点が作られた。
それは認識が一つ発展したと言う事。
一つ感覚が拡大したということ。
自分、という定点を常に意識しつつ、その定点もまた常にそこにあるわけではなく、移動している。
移動する定点を中心に、何をどのように見るのか?
ひとつの定点に絞るのか、それとも複数の定点を観察するのか?
人が同じように動く場所、というのがある。
新宿のある公園は、そこに集う誰もが公園の中心をよけて歩いていた。
その真意はわからないけれども大天使ミカエルに浄化をお願いし、作業が終了したら何事もなかったように公園の真ん中を人々が横切り始めた。
場所にあるエネルギーもまた、そこにやってくる人たちによって分散されたり、集まったりする。
光が強ければ光のエネルギーが。
闇が強ければ闇のエネルギーが。
地球全体を宇宙空間から見たときに、今の地球は光と闇のバランスは良いのだろうか?
そして、半々=バランスが取れている、というわけでもないのだろうか?
その惑星自体に、必要なバランスがあるのかも…
人がアフリカから移動したときも、きっと必要なエネルギーを土地から呼ばれたkら運んだのでは…と、勘ぐってみる。
そして堆積する思いは地層のように分厚くこの惑星の上に重なっていく…
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