宇宙系チャネラー ☆ルカ☆

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どう生きたいかが明確にわかってきました!!(脳セッションの内容と感想)

「あなたが秘めた無限大の可能性が花開く、脳セッション」を受けてくださっU.S様に対して行った脳セッションの詳しい内容を、許可をいただいたうえで掲載します。
あなたが秘めた無限大の可能性が花開く、脳セッションの感想

ルカ様

先日は脳セッションとレポートをありがとうございました。
本日、振り返りを言葉にできる機会が授けられましたので、
シェアさせてください。

> こちらをお読みいただく事でも変化をお感じになられる方もいらっしゃいます。

まさにその通りでした。
「読みたい」と思う時に何度か読んでいますが、
今日また改めて読み返した時に、
突然なにか高次のものとすーっとつながり始める体験がありました。

> ☆U様のハッピーMAXとは?
>
> 小さな子どもの笑い声…何人かの声がしています。
> そして、母親とおぼしき人の声。
> 陽の光。洗濯物が風に翻る。
> 頬を撫でる心地よい風。冷たいレモネード。
> 氷の入ったコップと、外側の水滴。その中に映る世界…それは瞬間の美。
> 歌ったり、踊ったり…追いかけっこをしたり。
> 恐らく、庭で遊んでいるのでしょうね。
> ホースの水を撒いて遊び、できた虹に見とれる…瞬間の美。
>
> U様のハッピーMAXは、上記のような…一瞬一瞬、日常の中で見いだす美を
> 感じる事、感じ取れる事。
> その瞬間の組み合わせは一期一会で、その美の発動に立ち会えたときに、
> 心から幸せ…そうお感じになられている印象がありました。

これについて、日を追うごとに、実感が増し、
ありありと自分の人生の中心に据えられてきている気がします。
セッションをして間もなく、お散歩をしたりそれこそ洗濯をしたり、
なんとなーく家でまったりしながら過ごしていたり、どこか無邪気で、
本当に何気ないような瞬間を大事なひとと重ねることができました。
それがこころの底からしあわせで、
自然なこととして素直にその流れの中にいる自分と、
こんなにもしあわせなことが!と驚いている自分が共存していて、
おもしろかったです。

> 1。私は汚い
> 恐らく思春期のころだと思います。
> 繊細な時期に、同じクラスの男子に心ない一言を言われたのでしょうか…
> 恐らくそれは、U様に向けられたものではなかったのだと思います。
> ですが、ご自身の感性はそれを「自分の事だ」と捉えて、本来の美しさを
> 隠し、「汚い」自分であろうとしてしまったようです。
> (この「汚い」は、とても抽象的な概念なのだと思います。具体的に
> 汚くしていたわけではなく…汚いを言い訳にしていたような?)

最初は「ん?そうだったんだっけ・・・」となっていたのですが、
徐々にそうだとわかってきました。
地味な色で自分を消したり、自分の「醜さ」を自他に誇張したりしていた
ような気がします。自分を激しく貶めていた時の感情を思い出します。

> 深層のご自身は、
> 「言葉に敏感に反応する時期だったので、影響が大きかったのは理解できます。
> そして、それだけ繊細であったご自身、純粋であったご自身を、誇りに思って
> いただきたいと思うのです。

そうですね。そんな自分が大好きです!^^

> 汚い自分であろうとした、というのは、言わば他人からの呪詛なのですが、
> 美しいものを隠しておきたい、独りで抱えていたい、他の人にシェアしたくない…という
> 呪詛でもあるのです。
> もうそこから解放されても良いでしょう。
> 真の美しさは何にも拘束されず、常に自由で、無限に与えられるもの。
> 生命の光ある限り、年を取っても変わらないもの。
> 見た目だけにこだわる必要はないのです。内なる光こそが美しい、その
> 顕われこそが美しい…そうあることをただ赦していきましょう」
> と、おっしゃいました。

なるほど・・・。
そして、年齢を気にしていた原因でもあったのかなと思いました。
そして年齢を気にすることが、前よりもはるかになくなりました。。。

> 深層のご自身と協力してこの呪詛を取り外し、ご自身の本来の美しさが
> 100%表に出るようにサポートさせていただきました。
> 肉体のほうに現れるのは少しお時間かかるかもしれませんが、確実に100%の
> 輝きを表に出していけると思います。
> まずは、ご自身の姿勢、立ち姿、座り姿の変化や、目の輝きなどを
> ご確認いただけると、毎日少しずつ変化されているのがわかるかと
> 思います。

セッションの後に、自分はありのままで美しいのだと
感じることのできる機会が多くありました。
こんなこと、自分には縁がないと思っていたので、
本当に驚きと感謝でいっぱいでした。
そのまんまで美しいってなんて素敵なのだろうと、
こころから自分であることを喜んで、
人目を気にせず自分の光をばーんと輝かせたいと思えるようになりました。

> 2。愛されなくても良い
> これは犠牲的精神のひとつです。幼少期だと思いますが…テレビかなにかで、
> 親が居ない子どもの話か、親を失った子どもの話をしていたのだと思います。
> それを見たときに、なぜか頭の中で「私が親に愛されなければこの子に親の
> 愛が与えられる」と思い込まれてしまったようです。
> 以後、ご両親からの愛は変わらずだと思いますが、どこかで…
> 「この子は変わってる」「偏屈なところがある」と思われたり、少々
> 手を焼く…ということを遠回しに言われたり、ということがあったかもしれません。

「この子は変わってる」「偏屈なところがある」なんて、
まさにそっくりそのまま言われていたことです!!
そして、親子関係の中でわたしがこじらせてきたことについて、
他の人の家庭環境と比べると、劇的にひどかったようにも思えない気がして、
「たったこれだけのことでこじらせちゃったのか・・・」と
他人に思われているんじゃないか、と自分を責める気持ちがありました。
けれど、先ほどの”繊細さ””純粋さ”と合わせて、
幼少期にこのようなきっかけがあったのだと知り、納得がいきました。

> 深層のご自身は、
> 「本来は素直で愛嬌のある方なのですが、「私が我慢すれば」という
> 犠牲精神を発揮された事で、親子の中が少しぎくしゃくしたと思います。
> しかし、ご自身が愛の受け取りを拒否したからといって、別の子どもが愛を
> 受けとれるわけではないのです。自分自身が満たされてこその余裕なのです。
> ですから、この犠牲精神をもう浄化したいと思います」
> と、おっしゃいました。

そう、本来の素直さや愛嬌がどんどん出せるようになってきて、
こども時代の自分にできなかったことをとリ返しつつ、
本来の自分の幹を太くし輝きを増すことにつながっている気がしています。
「わたしはこんなんやもん!」ってね。笑

> 深層のご自身と協力して、「私が我慢すれば…」の犠牲精神を浄化させて
> いただきました。
> 恐らく、幼少時以降もこの手のことは多々合ったのでは?と思います。
> 私が我慢すればすべてうまくいく、と思って黙ってしまったり、とか。
> でもそういうのって結局ご自身の負担になるのだと思います。
> 今後は、「我慢する」ということが自然になくなっていくと思います。
> 「私が我慢する」ではなくて、「私はどうしたいか」が明確になって
> いかれると思います。
> そして、私の気持ちに素直になっていくことで、周りの方々もその
> 恩恵を受けとられるのだと思います。

まさに、このからくりで苦しんできました。
自分がどうしたいかがわからなかったり、
かといって人のために何かしても徒労感しかなかったり・・・
このからくりを知ればそれは当然の帰結ですよね。
でももう、やめました!笑
そして、そうこうしているうちに、
自分が何をしたいか、どう生きたいかが明確にわかってきました!!
そしてそれをちゃんと表現できるようになってきました。
人生の楽しさや、生きがい(生きるかいがあるなぁ、みたいな)を
色濃く感じ始めています。。。すごいです。

> 3。何をしても見返りがない
> 根っこを見ていくと幼少時?小学校中学年以上かな…と思います。
> その他にも中学、高校…と、こちらは主に友人関係であった感じ。
> 幼少時は親との関係ですね。
> お手伝いをしてもお礼を言われない、お小遣いをもらえない、とか。
> 友人にノートを取ってあげても自分が休んだときには取ってくれなかった…とか。
> 掃除を代わってあげたのに私が代わって欲しかったときは代わってくれない、など。
> ご自身が相手にした行動が自分には思う形で返ってこない、ということから、
> 何をしても自分にはメリットがない、と思い込まれているようでした。

まさに、です。。。汗

> 深層のご自身は、
> 「これは、トリッキーでもありますが…見返りを期待すると痛い目に
> 合うのです。
> なぜなら、見返りがどんな形で来るのか誰にもわからないからです。
> 掃除を代わってあげた相手は、別のときに別の相手の掃除当番を
> 代わってあげてるかもしれない。
> 今度私が用があるときに掃除を代わってもらおう、という心づもりを
> 言わずに交代しているなら、「今度用があるときに代わってね」と言ってから
> のほうが相手の意識も変わるでしょう。
> 期待しない事です。それは諦める、ということではありません。
> どういう形で返ってくるのかを天に任せるのです。
> そうすれば、望む形と違っていても落胆する事はなく、裏切られた
> 気分になることもありません」
> と、おっしゃいました。

なるほどです。。。
そう、見返りを求める自分が嫌で、そうしたくなくても、
やっぱりどこかで求めている自分がいて、
どうしていいかわからなかったです。
こんな自分、ダっサいなぁと思っていました。笑

> 脳に巣食っていたこの「何をしても見返りがない」の部分を取り外し、
> 奇麗に掃除しました。
> 今後は、ご自身の行動に対しての反応を良い意味で期待しなくなるでしょう。
> そうすると、反応を期待した言動ではなくて、ご自身の素のままの言動と
> なるので、逆にリアクションが良くなる場合もあります。
> また、忘れた頃に思ってもいなかったより良いお返しが来ることも
> あるでしょう。
> 日々、見返りを期待せず、無心の状態で何かを行なう事で、受けとった
> ときの喜びも大きくなります。

そんな自分になれるなんて、うれしいです!!
自分がここのところずっと「こうあれたらいいな」と思っていたこと
(ただただ素で自然体でいるだけで、「誰かのためになろう」なんて
肩にちからも入ってなくて、のほほんとしているだけ。
そうできるだけでありがたくて、人生まるもうけみたいなもん。
それがでも、なんだか知らんところで人様の役に立つことになってたとしたら、
それは棚からぼた餅のようなありがたいこと)と
とても似ているので、本当にうれしいです。

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