29Sep
ヒーリングとかエネルギーワークとかアクティベーションとかやっているとき、実践しているのは私ではないんだよな、とよく感じます。
私、という媒介を通している。
そこに私の意図はなく、相手の方の魂と向き合い、必要なことがただ、淡々と粛々と行われていきます。
あの空間にはそれぞれに必要な「何か」がすでに用意してあって、私は相対する人に向けて、その人に合うものをただ、媒介するのです。
チャネリングレポートも、すでにライブラリに収められているものにアクセスして降ろすだけ。
だから、「どうしてこういうことを書くのだろう」と思うことも多々あります。
時にそれは、ご本人ではなくご家族、パートナーの課題であることもあり、時にそれについて「私のセッションをお願いしたのに、どうして私の内容ではないんですか」と言われることもあります。
しかし、案外トリガーが家族であることも多く、家族が癒されることがご自身の癒し、あるいはスイッチになるパターンもあるのです。
すべての人のエネルギーは生まれる前から今に至るまで、複雑に絡み合った糸のようなもの。
狭い視点では見つけられないものがあります。
ひとつの塊をほぐすのに、一本の糸に拘っていたら解けないものも、全体を見て他の糸をいじってみたら肝腎要の部分がほぐされた、というのもよくある話。
すべてを委ねる。
そこには、大概怖さがつきまとう。
それでも、この仕事を天命として選んだから、怖さを乗り越えて委ねています。
委ねることですべてがうまく周り出す。
エゴ、自我、それらは必要なく、ただ「この体を、私という器を使ってください」と差し出すことで、あまねく解決のいとぐちが見つけ出されるのです。
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